リビングテック協会 -LIVING TECH ASSOCIATION JAPAN-

Magazine No.3

多様性を阻害する、一意的な幸福論―LivingTechの意義は、選択自由度を高めることにある?

2020.07.09

多様性を阻害する、一意的な幸福論―LivingTechの意義は、選択自由度を高めることにある?

2017年9月に開催された第1回「LivingTech カンファレンス」。全9セッションの中から、「都市におけるイノベーションのあり方とは?」と題して行われたセッション(全8回)の8回目お届けします。LIFULL井上社長の問いかけから、さらに深まる議論。幸せは人それぞれ違うもの――その前提から見えてくる、真に求められる社会のあり方とは?

登壇者情報

そこに住む人が幸福実感を得られるテクノロジーとは

内山: まだまだお話をお伺いしたいのですが、ここでちょっと、まとまってはいないんですが、最後に締めていただきたいのですが、締める前に会場のほうから質問を受ける時間になりました。

10分を切りましたけど、ご質問等ある方いらっしゃれば、ぜひ挙手をお願いします。誰に対してでも結構です。どう思っているかなどでも結構です。

じゃあ、井上さんお願いします。

質問者: 今日はご登壇ありがとうございます。LIFULLの社長の井上です。

今日のこのセッションのテーマが、「人々の価値観を変える場の作り方」。このカンファレンス自体はLivingTechということで、生き方とか暮らし方に対してのテクノロジーというのが全体のテーマ。で、その中で「価値観を変える場の作り方」というところについて一つ補助線を加えたいんですけども。

テクノロジーって進化させてそれを使えばいいというものではなくて、何のためにあるかと言ったら、そこに住む人が快適だとか、幸福実感を得られるためとか。

それが家の設計だったり、働く場の設計だったり、街づくりだったり、国づくりだったり、といことにつながっていくと思うんですけど。そういう文脈で考えた時に、どうなると幸せだと思ってますか?というのをお三方に聞きたいです。

そのために、「どういうテクノロジーを使うのですか」と。

「幸せは人それぞれ違う」という観点で、どんな社会が設計できるか

若林: 僕はさっきも言いましたけど、幸せが最上位にあるということは、そもそも間違っているんじゃないかと思っているんですよ。いやつまり、人間は幸せになるために生きているんだっけ、という。それ、半分嘘だと思っているんです。つまり、人間が生きていても意味ないんだと。

でしょ?

ある種の合目的性みたいなものを設定して、そこに向けて何かを活動させるということ自体が、実は多様性を阻害している可能性がある。どう言ったらいいんだろうな……。

「これって、みんなが幸福になれる空間でしょ」みたいな提案って、気持ち悪くないですか? それって何ていうんだろうな……いいんだけど、「幸福っていうのは人それぞれ違う」という観点から、何が設計できるか、という考え方が大事なんですよ。

これが幸福だと人に定義して欲しくないというのが、一応は今の多様性だとか民主主義だとかを構成する上で結構重要かなと。意図が、自分たちの組織の空間に対して「社員の幸福を考えるとこういうことですよね」というのはあり得る話なんですけど。

みんなが自分たちの幸せを大事だとするのであれば、どういうふうに追求してもいいという場所になっているかということが、僕は大事な気がするんですよ。それはなんか「民主主義とは何だっけ?」みたいなこととつながる話です。そこ自体を検討したほうがいいと思っています。

個人の欲望の総体として社会があるというわけではなくて、社会は社会としてあるという話があるんですよ。個人の欲望が原初的なものとしてあって、そのドライブが社会というものを動かしているという考え方は、新古典経済学が言ってきたドグマなだけで、社会というもののあり様を実際は捉えていないんですよ。

その社会という観点で言うと、この間も不動産の人に言われたのですが、「より良き社会を考えるのと、個人の幸せって両方大事だと思うんですけど、僕らは会社としてはどっちを優先させたほうがいいですかね」って聞かれたんですよ。

そんなもの、社会に決まってるだろうと僕は答えてしまいました。個人の幸せなんていうものに、企業がどう関与しうるか。そもそもできるという前提自体が、もしかしたら違うのではないかという気がしていて。社会というものに向かって、もうちょっと考え方を発動させるべきだというのが、最近の僕の激烈な思いです。

どんな幸せのあり方にも耐えうるインフラを

内山: せっかくご質問いただいたので、齋藤さん。あ、ちょっとフォローしておくと、タイトルを私がちょっと変えちゃったんで、都市に広げさせてもらったんで、こんなに拡散しちゃってますけど、齋藤さんは答えをお持ちなので。

齋藤: 僕がこの中で議論していて思ったのは、「幸せ」といった個人的価値の概念をどれだけカスタムをしても大丈夫なインフラを作っておく、というのが多分これから大事だと思うんですね。

最後にも話しますが、今のうちからどの局面に来てもすぐに対応できるようなインフラなのかシステムなのかプラットフォームなのかを作っておかないとダメだと思うんです。

個人的に幸せな家庭がある……僕はもう家が大好きなんですけど。

若林: 奥さんが怖いだけでしょ?(笑)

齋藤: (笑)。僕の中で、テクノロジーでやれたらいいなと思っているのは、人間って便利なものがあると……さっきのドラえもんのどこでもドアと散歩道の話もそうですけど、たまにそれをオフにしたくなると思うんですよね。要は鎧を全部脱いで、全く裸の状態になりたい。散歩に近い。

超オプティマイズして超いろんなところを動いている時は、自動運転だろうがUberだろうが電車だろうが、何を使っても15分で品川まで移動したい、とか。ただそれとは全く違うモードに入るのも、人間じゃないですか。それがもしかしたら、働くことと生活することとの違いなのかも分からないですけど。

僕の中で、これからそういういろいろなものをオフにできる瞬間というのが、本当の意味でのウェルネスになってくる気がしていて、医療とかの前にそうなるような気がしていて。テクノロジーがそういうふうに最後できると、僕はいいかなと思いました。

LivingTechが果たすべきは、我々に選択の自由をもたらすこと

内山: 林さん、時間が来ていますが、お願いします。,/

林: 今齋藤さんが言ったように、僕も幸せの選択自由度が高まるといいのかなと基本的には思っています。そのためには、今後、資源を使わないでどう楽しめるかというのが一つ。

やることがなくなっていったら人は何をするのかというと、どこか無人島に行っても、やることがないとだいたい『遊ぶ』か『作る』か。音楽を聞くとか奏でるとか、そういうほうにしかないのかなと思います。

そうなると、やることのないほうに向かって頑張っていって。かつ『遊ぶ』『作る』というもの、あるいはゲームなのか分からないですけど、ある種の楽しませるという、その二本立てみたいなほうに全体感としては向かって行くようなイメージがあるので。

その両方にテクノロジーは効くよねという意味で。どっちが大事というよりは、二人三脚的に向かっていくだろうな、と。僕はどっちかというと、後者をやりたいなという感覚でおります。

若林: あと一点だけ言うと、昔、不動産の人たちにつっかかったことがあるんだけど。「ここは幸せな生活空間です」という話は良いと。でも「それ生きる話ばっかだろ!」と詰めたんですよ。「ここでどうやって人は死ぬんだよ!」という話が抜けていると、結構それ危険なんですよ。

「人は永遠に生きなきゃいけない」というふうな設定の空間が作られるというのは、嫌だなと思って。ウェルネスみたいなキーワードはあるけど、そこで一番重要なのは、いかに「ウェルネスな死」みたいなものを考えられることも重要かなと。

内山: すみません。ちょっともう時間も過ぎてしまっているので。本当は最後に提言をと思っていたのですが。皆さん一言ずつ、今日のテーマで会場の皆さんにお伝えしたいことがあれば、ぜひお願いしたいです。

齋藤: 2040年のことは2040年に考えます。

若林: それでいいと思います。

内山: それがまとめ、ということで……(笑)。

すみません。なあなあなモデレータで申し訳なかったのですが、今日は、お三方が日頃考えていることをできるだけ引き出したかったので、あんまりテーマを僕のほうで絞らずに進めて来た結果こんな感じになりましたが、いろんなところにキーワードが散りばめられていたと思います。

それはテクノロジーに関わる人たちにも大切なテーマだったと思います。

最後に若林さんがおっしゃったように、「一人一人価値観違うんじゃねえ?」みたいな感覚だったり、齋藤さんがおっしゃったように、「ディベロッパー同士はもっとちゃんと会話をしなければダメだ」という結構アナログな話だったり。

いろいろあったと思うんですが、私自身も勉強になりました。もう一度最後にお三方に拍手をお送りいただければと思います。今日はありがとうございました。